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大阪地方裁判所堺支部 昭和50年(ワ)554号 判決

原告 矢倉幸雄

右訴訟代理人弁護士 岩田嘉重郎

同 藤田勝治

被告 野口一郎

右訴訟代理人弁護士 松尾利雄

被告 国

右代表者法務大臣 古井喜實

右指定理人 平井義丸

〈ほか三名〉

主文

1  被告国は原告に対し、金七〇万円とこれに対する昭和五〇年一一月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告の被告国に対するその余の請求及び被告野口に対する請求を棄却する。

3  訴訟費用は、原告と被告国との間では原告に生じた費用の三分の一を被告国の、その余を各自の負担とし、原告と被告野口との間では全部原告の負担とする。

4  この判決は1項に限り仮に執行することができる。ただし、被告国が金五〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告らは各自、原告に対し、金二一九万円とこれに対する昭和五〇年一一月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  被告野口一郎(以下「被告野口」という。)

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

三  被告国

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、後記2に述べる被告らの不法行為に基づき、次のとおり無益な訴訟の遂行を余儀なくされた。

(一) 別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)は、もと被告野口の所有であったが、昭和二五年六月七日、当時これを小作していた原告の先代矢倉昇(以下「昇」という。)が、同被告から代金五万三〇〇〇円で買受け、その所有権を取得した。原告は、昇の死亡により、母矢倉マスと本件土地を共同相続し、その後マスの死亡によりその単独相続人として所有権全部を取得した。

(二) しかるに、被告野口は、昭和四一年に至り、本件土地の所有権を主張して原告に対しその明渡を訴求した(堺簡易裁判所昭和四一年(ハ)第三五号事件。以下「A事件」という。)。そこで、原告もやむなく右(一)による本件土地所有権の取得を主張して、同被告に対し所有権移転登記手続を訴求した(大阪地裁堺支部昭和四一年(ワ)第一三〇号事件。以下「B事件」という。)。A事件はB事件の係属する大阪地裁堺支部に移送され、両事件は併合審理された(以下この併合事件を「前訴」という。)。第一審は、被告野口の所有権、原告の賃借権を各認定して、双方の訴えを棄却した。原告は控訴し、控訴審は、原告主張の買受取得を認め、被告野口に原告への所有権移転登記手続を命じた。被告野口は上告して争ったが、最高裁判所は昭和四九年八月三〇日、上告を棄却した。

(三) 原告は、右勝訴判決の確定により、大阪法務局堺支局に本件土地の所有権移転登記手続を申請した。ところが、同支局は、「本件土地は昭和二五年一二月二日、被告野口から被告国が自作農創設特別措置法(以下「自創法」という。)一六条により買収している。」との理由で、右申請の受付を拒否した。

(四) 驚いて原告が調査したところ、前記(一)のとおり本件土地は昭和二五年六月七日、昇が買受け、所有権を取得しているにもかかわらず、同年一二月二日、自創法一六条により被告国が被告野口から買収したうえ、これを原告に売渡したことになっていることが判明した。そこで、原告はそれに添った手続をした結果、本件土地は、昭和五〇年二月一三日、右昭和二五年一二月二日付自創法による売渡を原因として、原告に所有権移転登記がされた。

(五) 以上の事実から明らかなように、前訴は、被告野口の不当訴訟に起因したものであるが、また一方、被告国が少なくとも前記買収の事実だけででも明確にしておれば、右訴訟も起こらなかったといい得るのである。いずれにしても、原告としては被告らのために無益な前訴の提起遂行を余儀なくされたものであり、その責は被告らが負うべきこと当然である。

2  そこで、被告らの不法行為責任について次にみる。

(一) 被告野口の責任

(1) 売買否認による争訟

被告野口は、1(一)のとおり昭和二五年六月七日昇に本件土地を売却していたのにもかかわらず、これを否定して争訟し、原告に前訴遂行を余儀なくさせた。被告野口自身が本件土地を売却したものでないにしても、昇は、被告野口から包括的な財産の管理及び処分権を与えられていた継父野口勘三郎(被告野口の実父の実弟。以下「勘三郎」という。)からこれを買入れた。そして、昇は右買受以降小作料も支払っていないのであるから、被告野口も右買受を知っていたか、又は知らないことにつき過失のあったことは明らかである。

(2) 自創法による買収のあったことを知らずに争訟した過失

勘三郎は、当時南八下村の村長であったから、当然、本件土地が自創法により買収されたことを知っていた。そして、勘三郎と被告野口との関係は前記のとおりであるから、被告野口も右買収の事実を十分知り得た。にもかかわらず、被告野口はこれを看過し、原告をして無益な前訴遂行を余儀なくさせた。

(3) 従って、被告野口には、前訴遂行により原告の被った損害を賠償すべき義務がある。

(二) 被告国の責任

(1) 登記簿謄本の作成・交付についての過失

前記1(四)のとおり、被告国は被告野口から本件土地を買収した。そして、その旨の登記は、自作農創設特別措置登記令施行細則(昭和二二年三月一二日司法省令第二三号。以下「細則」という。)四条により、本件土地の登記簿表題部の上部欄外に、自創法による買収があった旨及びその買収による権利取得の登記嘱託書が編綴された綴込帳の冊数・丁数を表示することによってされた。

しかるに、被告国の職員たる大阪法務局堺支局登記官○○○○は、昭和四一年二月四日、原告から委任を受けて本件土地の登記簿謄本の交付申請をした弁護士に対し、前記登記簿表題部欄外の買収登記を見落し、その表示のない登記簿謄本(手書きによるもの。甲第三号証。)を作成して交付した。

また、同登記官は、同年二月一四日、被告野口から委任を受け、前同様登記簿謄本の交付申請をした弁護士に対しても、前同様買収の表示のない登記簿謄本(手書きによるもの。甲第二号証。)を作成・交付した。

右不完全な登記簿謄本の交付を受けたことにより、原告及び被告野口は、本件土地の帰属をめぐる争いは前記1(一)の売買の存否に尽きるものと考え、ためにA・B事件を提起し、無益な争訟を行った。

およそ登記官は、完全な登記簿謄本を作成して交付すべき注意義務を負っている。しかるに、登記官○○○○は右注意義務を怠って、登記簿原本と異なる謄本を作成・交付し、原告の本件土地の登記簿上の権利関係に対する認識を誤らせた。

従って、被告国は原告に対し、国家賠償法一条ないし民法七一五条に基づき、右登記官の違法ないし不法行為によって原告が被った損害を賠償すべき義務がある。

(2) 立法上の過失

仮に前記登記官に過失がなかったとしても、そもそも前記細則四条の規定によると、(イ)記載箇所が欄外、かつ、表題部とされていること、(ロ)所有者が国である旨の明示がされず、その所有権取得時期の記載もされないこと、等の重大な欠陥があり、このようなものを登記の記載とみることは不可能である。現に、前記のとおり、専門家たる登記官ですら、この表示を見落している。

被告国は、右のとおり極めてずさんな立法を行い、これによって原告を錯誤に陥らせ、無益な前訴を遂行させた。

従って、被告国はこれにより原告の被った損害を賠償すべき義務がある。

3  前記被告野口及び被告国の行為によって被った原告の損害(合計金二一九万円)。

(一) 原告は前訴遂行を弁護士に委任せざるを得ず、その費用として金一三万円、その報酬として金一八六万円を支払い、同額の損害を被った。

(二) 被告らは原告に対し右損害賠償の履行を任意にせず、原告をして弁護士に訴訟委任をして本訴の提起遂行を余儀なくし、その弁護士費用として金二〇万円を要させ、同額の損害を被らせた。

4  よって、原告は被告らに対し、被告らの共同不法行為に基づく損害賠償として、右金二一九万円と、これに対する不法行為後(本訴状が送達された日の翌日。)たる昭和五〇年一一月一九日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告野口の請求原因に対する認否及び主張

1  請求原因1は認める。ただし、原告主張の売買契約は被告野口の無権代理人たる勘三郎がしたもので、被告野口は前訴当時、これを知らなかったし、また、本件土地が被告国に買収されていたことも知らなかった。

2  請求原因2(一)の、被告野口の故意・過失の主張はすべて争う。

訴訟の提起が不法行為となるのには、訴訟自由の原則からみて、提訴者に強度の違法性、すなわち、理由のないことを知っていたか、又は知らなかったことに重大な過失の認められることが必要である。しかるに、被告野口には、次のとおり、故意はもちろん過失もなかった。

(一) 被告野口が原告提起のB事件に先立ってA事件を提起したことは認めるが、これら本訴提起前に仮処分が先行していた。仮処分は、まず、原告が昭和四一年二月一七日に本件土地の仮登記仮処分決定を得、これに対して被告野口が同年三月四日に占有移転禁止の仮処分決定を得たのである。このように、原告の方が先に権利主張をしたものである。そして、前訴全般についても、原告が終始主導的に訴訟を進め、被告野口はこれを防衛する立場にあった。

被告野口は自ら本件土地を売却したことはなく、本件土地を売却したのは勘三郎である。同人と被告野口との身分関係は認めるが、被告野口は同人に財産管理権を与えてはいなかったし、ましてや本件土地の売却を許したこともなかった。被告野口は、原告主張の売買の事実を予め話されてもいなかったし、前訴において原告の提出した「土地売渡仮証」(乙第四号証)も、原告が提出するまでその存在を知らなかった。しかも被告野口は、右売買があったという昭和二五年以降も本件土地の公租公課を負担し続けていたのであって、当然本件土地は自己の所有地であると信じ、A事件を提起したのである。従って、被告野口には故意はもとより過失もなかった。

(二) 自創法による買収については、被告野口もその事実を全く知らなかった。そして、前訴では原告からもその旨の主張はなく、かつ、被告野口の取寄せた登記簿謄本(甲第二号証。)にも買収の事実の記載は全くなかったし、さらには前訴で原告の提出した登記簿謄本(乙第八号証。)の右に関する記載も到底判読できないものであったから、被告野口が買収の事実を知らなかったことについて過失はない。

3  請求原因3は、原告が前訴及び本訴の遂行を弁護士に委任したことは認めるが、その余は知らない。

4  請求原因4は争う。

仮に被告野口に責任があるとしても、前記のとおり前訴は原告が主導して進めたものであるところ、原告も自創法による買収の事実を知らずに前訴を遂行したのであるから、その過失は重大であり、過失相殺されるべきである。

三  被告国の請求原因に対する認否及び主張

1  請求原因1(一)は、本件土地をもと被告野口が所有していたことは認める。

同(二)は、原告主張の訴訟が、原告主張の理由のもとに原告の勝訴に終ったことは認める。

同(三)は、登記申請の受付を拒否したとの点は否認し、その余は認める。本件土地は登記簿上被告国が買収しているので、原告申請の登記が不能であることから、原告が右申請を任意に取下げたものである。

同(四)は、本件土地を被告国が買収し、これを原告に売渡していることは認めるが、原告が右事実を前訴終了後調査によって初めて知ったとの点は知らない。

2  請求原因2(二)の(1)は、原告主張の登記官が、原告主張のとおり登記簿原本と異なる謄本を作成し、交付したことは認めるが、右と原告の前訴遂行との間には、後記5(一)のとおり相当因果関係がない。

同(2)は争う。自創法施行に伴う登記制度は、戦後の農地改革による大規模な農地の権利変動の登記事務を迅速に処理するため採用されたもので、当時の行政機構を前提とすればやむを得ないものであって、立法府が右制度を採用したのは正当である。

3  請求原因3は、原告が前訴及び本訴の遂行を弁護士に委任したことは認めるが、主張の損害額は争う。

前訴の報酬等については、前訴提起時たる昭和四一年当時の本件土地価額が基準となるべきである。

また、本訴の弁護士費用については、そもそも積極的に訴を提起するのに要した弁護士費用は、相手方の行為が強度の違法性を帯びている場合にのみ、賠償請求が認められるべきものであるところ、本件はこれに該当しない。

5  被告国の主張

(一) 請求原因2(二)(1)の不完全な登記簿謄本の交付と、原告の前訴遂行との間には相当因果関係はなく、右は原告の故意又は一方的過失に起因するものである。

すなわち、自創法一六条による農地売渡の相手方は、同法一七条による買受の申込をしたものでなければならなかった。従って、本件土地が買収されて原告に売渡されている以上、原告は買受の申込をしているはずである。そうすると、原告は自己に対し本件土地が売渡されていることを十分知悉していたはずで、これを看過して前訴を遂行したのは、原告に故意又は一方的な重過失があったことによるものといえる。

従って、原告主張の登記官の過失と、原告主張の損害との間には相当因果関係はない。

また、前訴の過程で、大阪法務局堺支局登記官高原栄は、昭和四一年五月二六日、原告に対し表題部欄外に自創法による買収ずみの旨の記載のある登記簿謄本(乙第八号証)を交付している。そして、この登記簿謄本はB事件において原告が甲第一号証として提出している。従って、少なくともこの時点では、原告は本件土地が自創法により買収され、被告野口の所有に属していない事実を知り得たはずである。

(二) 原告の被告国に対する請求は権利の濫用である。

本件土地は、昭和二五年六月七日、被告野口から昇に五万三〇〇〇円で売却されている。右売買は被告野口の代理人たる勘三郎がしたものであるが、その趣旨は、自創法による安価な買収を回避することにあった、と推認できる。そして、勘三郎は昇と協議のうえ、ことさら右売買の事実をかくし、昇に原告名義で買受申込をさせ、本件土地が自創法による買収・売渡の対象となるにまかせたものと考えられる。すなわち、自創法による買収・売渡の方法によるときは、当時被告野口が保管していたと思われる本件土地の登記済証は不要であるうえ、売買による所有権移転登記の登録税二六二〇円(これは自創法による売渡価額の約二倍にあたる。)と、司法書士への報酬を免れることになる(自創法による買収・売渡にかかる登記については登録税は課せられない。)からである。

そうとすれば、本件土地の買収処分は、もともと勘三郎と昇とが合意のうえで被告国をしてさせた非所有者に対する違法な処分である。そこで堺市農業委員会としては、本件買収を非所有者に対するものとして職権で取消すことも考えたが、自創法による売渡を原因として原告に所有権移転登記手続を嘱託すれば、原告が前記確定判決に基づいてすれば要する登録免許税六〇万円が不要となることから、原告の便宜のため、あえて自創法による売渡の登記嘱託に踏み切ったものである。

以上のとおり、本件土地の買収・売渡は、当事者らが自創法の本来の目的以外の意図で利用したものである。そして、そうであればこそ当事者たる勘三郎と昇以外のものには知らされていなかったと推認できる。

このように、原告が右買収による登記があることを奇貨として、正規の売買による登録免許税六〇万円の支出を免れたうえ、さらに本件事態を招いた昇らの違法行為を棚にあげて本訴請求をするなどということは、明らかに権利の濫用というべきである。

(三) 仮に以上の主張が認められないとしても、右(二)の事情により、被告国は、原告の免れた登録免許税金六〇万円について、損益相殺を主張する。

四  原告の、被告国の主張に対する反論

1  原告は本件土地の自創法による売渡通知を受けていない。原告に対する売渡手続は、次のとおり勘三郎が原告の無権代理人としてしたものであると推察される。

すなわち、勘三郎は、本件土地が早晩自創法による買収にかかることを知り、その前に、自創法の存在等を全く知らない昇に買収予定価額の五〇倍もの価額で売り付けたものである。そして、自創法による買収・売渡の手続についても、右勘三郎が秘密裡に一切の手続を行ったものと思われる。昇は、「登記はちゃんとしておく。」との勘三郎の言を信じ、右手続には一切関与しなかった。

右のとおり原告は自創法による買受の申込もしていないし、売渡の通知も受けていない。ただ、原告は昭和五〇年二月一三日、自創法による売渡にかかる所有権移転登記の嘱託を受ける際、右勘三郎の無権代理行為を追認したにすぎない。

また、被告国主張の昭和四一年五月二六日付登記簿謄本についても、その主張の欄外の記載はようやく「・・・法に・・・込・・・1・・・90・・・」というのがわかるだけで、到底買収の登記がされているとはいえず、むしろこの点においても被告国に責任があるといえる。

2  権利濫用の主張と損益相殺の主張はいずれも争う。

第三証拠《省略》

理由

一  本件土地がもと被告野口の所有であったこと、昭和四一年に被告野口と原告間に本件土地の所有権をめぐって争いが起こり、原告主張のA・B事件が提起されたこと、前訴は原告主張の買受取得が認められて原告への所有権移転登記手続を命ずる原告勝訴の判決が確定して終了したこと、ところが本件土地については昭和二五年一二月二日付で被告国が自創法一六条により被告野口から買収し、その旨の登記(これは原告主張のとおり登記簿表題部の上部欄外にされている。)がされていたこと、しかるに前訴提起の前、被告国の職員たる大阪法務局堺支局登記官○○○○が、原告主張のとおり原告及び被告野口に対し、いずれも右買収の登記の表示のない登記簿謄本を作成・交付したこと、本件土地については、その後結局、昭和五〇年二月一三日、昭和二五年一二月二日付自創法による売渡を原因として原告に所有権移転登記がされたこと、以上の各事実については当事者間に争いがない。

二  被告野口に対する請求について

1  被告野口が売買を否定し不当に抗争した、との主張について

前記一にみた当事者間に争いのない、原告が前訴で買受取得に基づく所有権移転登記請求認容の確定判決を得ている事実と、《証拠省略》を総合すると、昇は原告主張の売買により本件土地の所有権を取得したことが認められるとともに、また一方、被告野口は右売買による所有権移転の事実を知らず、かつ、知らなかったことについて、次の事情から無理からぬもののあったことが認められる。すなわち、右売買は、被告野口が信頼して財産の管理処分を任かす形になっていた勘三郎によって、同被告不知の間にされたものであり、右売買を証する書面(乙第四号証(昭和二五年六月七日付昇あて同被告作成名義の「土地売渡仮証」と題する書面。)なお、同被告名義の記名・押印部分は、《証拠省略》により、勘三郎がしたものと認められる。)の存在を同被告が知ったのも、A事件提訴後であったことが認められ、これらは同被告が本件土地の公租公課を少くとも昭和四九年度分まで納付していたことが認められることともよく符合しているのであり、このような事情に鑑みれば、同被告が右所有権移転の事実を知らなかったことについて過失があったとはいい難い。従って、同被告が右認定の事実関係のもとで、所有権の帰属について争訟したことは、私的紛争の解決を図るために国家が設けた制度というべき民事訴訟制度の適法な範囲内の利用をしたにとどまって違法・不当のかどはない。そして、このことは、原告の勝訴に終った前訴において、第一審判決が、勘三郎の代理権等を確認できず、とし、これに対して、控訴審判決が、勘三郎に包括的代理権があった、仮にそうでないとしても、表見代理が成立する、と認定するというような訴訟過程を経たことに照らすと、より明らかといえる。

従って、原告の前記主張は採用できない。

2  被告野口が自創法による買収の事実を知らずに抗争したことが不法行為になる、との主張について

右主張については、本件全証拠によっても、被告野口が買収令書の交付を受けたことはもちろん、勘三郎その他の者からその旨を聞かされていたことも認めることができないうえ、前訴において同被告が取寄せた登記簿謄本(甲第二号証)に右買収の旨の記載がなかったことは、原告もまた自認するとおりであるし、さらに、前記1認定のとおり同被告は公租公課の賦課までされていた事情にあったのであるから、自創法の買収を知らずに抗争したことをもって不法行為が成立するとは到底いえない。

従って、原告の前記主張は採用できない。

3  よって、原告の被告野口に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がなく失当というべきである。

三  被告国の責任について

1  前記一にみた当事者間に争いのない、被告国の職員たる登記官○○○○が原告及び被告野口に対し登記簿原本と異なる謄本を作成し交付した、という事実によると、同登記官に職務執行上の過失があったことは明らかである。従って、被告国は原告に対し、右登記官の過誤により原告の被った損害について賠償すべき義務がある。

2  ところで、被告国は、原告主張の損害は、原告自身の故意又は重大な過失に起因するもので、右登記官の過誤との間に相当因果関係がない、と主張する。

そこで検討すると、前記一にみた当事者間に争いのない事実と、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  昭和二五年六月七日、勘三郎は、当時本件土地を小作していた昇に対し、被告野口の代理人として本件土地を五万三〇〇〇円で売渡した。当時勘三郎は南八下村の村長の職にあり、その職掌柄本件土地が近く自創法により一般取引価額に比して極めて低廉な価額で買収されるようになることを知っていた。そこで、事前に昇に売却することとした。昇は勘三郎の右のような意図までは察知せず、ただ、小作地が自己方のものにできることを喜んで買受けた。ところで、昇は被告野口同様勘三郎を信頼していたので、登記手続等を同人に任かせるとともに登記名義を原告にしたい旨話していた。その後間もない同年一二月二日、本件土地は被告国によって、登記簿上の所有者たる被告野口から自創法一六条により買収され、同日原告に売渡されるようになった。買収・売渡(以下両者を合わせて「買収等」という。)価額は同額の一三三二円八〇銭であった。右に関する登記は、当事者間に争いのない、表題部欄外への買収登記のみがされた。(売渡についても後記(二)括弧内認定のとおり勘三郎により処理されたものと推測されるが、未登記のまま放置された。放置された経緯については本件全証拠によっても確定できない。)

(二)  しかし、右買収等については原告・被告野口及び昇らはいずれも全く知らなかった。のみならず、前記二1認定のとおりその後も被告野口は本件土地所有者としての賦課を受けていたため、同被告としては気付くことがなかった。原告はまた、前記買受取得を聞かされ、原告方の所有地と信じて耕作していた。(このように、原告や昇及び被告野口らが買収等の事実を知らなかったのは、右原告ら不知の間にすべて勘三郎が処理し、専ら、同人の個人的都合上、他に事を伏せていたためと推測される。)

(三)  昇は、前記買受取得後は本件土地は自己方所有地と考えていたから小作料を支払わなかった。これに対し、被告野口は、長い付合いの間柄でもあるし、等と考え、そのまますごしていた。やがて、勘三郎が死亡し、その後昭和三七年に昇も死亡した。その間及びその後しばらくの間は、原告と右被告間に本件土地の帰属等について争いは起こらなかった。

(四)  昭和四一年に至り、本件土地の帰属をめぐって右原・被告間に争いが起こった。そこで、原告は昭和四一年二月四日、弁護士を通じて登記簿謄本を取り寄せた。謄本によると、本件土地の所有名義は被告野口のままになっていた(なお、謄本に買収の記載がなかったことは、当事者間に争いがない。)ので同被告を相手に所有権移転登記手続等請求の訴え(これがB事件に当たる。)を提起することとした。ところで、原告は、右提訴に先立って、仮登記仮処分を申請し、その決定を得て、右仮登記を裁判所の嘱託によってしたが、これも買収の事実に触れることなく経由された。

一方被告野口も、同月一四日、弁護士を通じて本件土地の登記簿謄本を取り寄せたが、これまた前同様買収の旨の記載はなかった(この点も当事者間に争いがない。)そして、被告野口もまた、右謄本によって自己の登記名義を確認し、原告を相手に土地明渡訴訟のA事件を提起した。

(五)  かくして、前訴A・B事件が提起されたが、右訴訟においては、双方とも、自創法による買収等のあったことを知らなかったため、専ら原告主張の売買契約、とりわけこれをするについての勘三郎の代理権の有無を主要争点として抗争した(このようなわけで、原告訴訟代理人は前訴の控訴審で、「本件土地は元来自創法により小作人たる原告の先代に解放売渡さるべき物件であった」旨の主張をしていた位である。)。審理の焦点も当然右代理権の有無ないし表見代理の成否に絞られていたことは前記二1にみたとおりである。

以上の事実を認めることができ、これを左右するだけの証拠はない。

右認定の事実によれば、原告及び被告野口はともに、右争訟に先立ち、登記簿謄本の交付を受けてその所有名義人を確認しているのであって、右謄本に買収の明瞭な記載さえされていたならば、原告・被告野口が前訴を提起遂行することがなかったであろうことは容易に推認できる。右にみたところによると、登記官の右過失と前訴の提起遂行のために原告が被った損害との間には相当因果関係があるものと認められる。そして、右認定の事実関係のもとでは、原告が自創法による買収等に気付かなかったことについては、被告国主張の故意はもちろん過失もなかったというべきである。

3  被告国はまた、昭和四一年五月二六日、自創法による買収ずみの旨の記載のある登記簿謄本(乙第八号証)を交付しているから、この時点で原告は自創法による買収の事実に気付くべきであった、と主張する。

右登記簿謄本をみると、表題部の上部欄外にゴム印の記載があり、なるほど、これを仔細にみれば、「 (農)法によ 買収登記嘱(託)綴込帳第1 第90 」と読みとることができる。しかし、これとても、しかく明瞭とはいえない態様のものであったのに加えて、右謄本の交付を受けた際には、原告・被告野口ともに、すでに、前記不完全な謄本(甲第二・第三号証)の交付を受け、これらを確認したことによって登記簿上の権利関係は同被告と昇間の前記売買前の状態のままであると信じ、この心理状態はさらに、前記のとおり原告申請の仮登記仮処分の登記が問題なく経由されていた(すなわち、専門家たる登記官すら買収記載に気付かなかった。)ことによってより一層強められた状態になっていたのである。このような事情のもとにあった原告に、右欄外の明確さを欠く記載に注意して自創法による買収の事実に気付くべきであった、ということは、余りにも難きをしいるものというべきである。

従って、被告の前記主張は採用できない。

4  さらに、被告国は、原告の本訴請求を権利の濫用である、と主張する。

ところで、被告の主張が、前認定のとおり昇と被告野口間の売買によって所有権が移転したものである以上、所有権移転登記は右売買を原因としてされるべきもので、これを自創法による買収等に基づいてすることは、本来、登記をもって実体的権利関係を如実に反映すべきものとしている登記制度の趣旨・目的に反する、というようなものであればそれなりに一応理由があるといいうる。しかし、被告国の主張は、そうではなく、昇と勘三郎が共謀のうえ、自創法を利用して登録税(当時)等を免れることを計ったとし、これは自創法本来の趣旨に反した違法なものである、というものである。そうすると、昇に自創法利用の意思があったと認められないこと前認定のとおりであるから、右主張はその前提においてすでに誤り、到底採用できない。

のみならず、昇・原告のいずれも、自創法に基づいて被告国から売渡を受け得べき適格性を具備していたものであり(しかも、同法による所有権取得をした方が遙かに有利であったことは、前認定の代価を対比すれば明瞭である。)、このような原告が、右売渡に先立ち、前認定の態様のもとにすでに、登記名義人となり所有権者たりうべき地位を有し、ただその登記を経ない間に、被告国が誤ってもとの所有者から買収しこれを右地位にあった原告に売渡し手続をとったとしても、それによって不利益を受ける立場にあった原告が異議を述べずにこれに応じたうえ所有権移転登記を求めた場合、被告国がこれを拒否し得る事由はないというべきである。

従って、被告国の前記主張も採用できない。

5  以上の次第で、被告国の前記各主張はいずれも採用できず、従って、被告国は、その職員たる登記官の過失によって、原告に無用の前訴遂行をさせたというべきであるから、これにより原告の被った損害を賠償すべき義務がある。

四  損害について

1  原告が前訴及び本訴の各遂行を弁護士に委任したことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告が右各訴訟遂行のための弁護士費用として計二一九万円(うち本訴関係分は二〇万円)を要することとなったことが認められ、この認定を左右するだけの証拠はない。

しかしながら、原告が右費用を支出したとしても、被告国に対し直ちにその全額を損害として賠償請求し得べきものではない。請求し得べき額は、違法ないし不法行為と相当因果関係があると認められる範囲内のものに限られ、これは、被害事実発生の原因・態様、当該訴訟の難易、その他認定事実に含まれた諸事情を斟酌し、社会通念に照らして相当と認められる額に限られるべきである。

そこで、これを本件についてみると、前認定のような被害発生の原因及びその後の経緯、前訴の訴訟経過(なお、《証拠省略》によれば、本件土地の課税台帳上の評価額は、前訴提起時の昭和四一年当時一一万二五〇二円、前訴確定時の昭和四九年当時には、いわゆる市街化区域農地に対する固定資産税の特例による宅地なみ評価で、一二五一万六一三六円となっていたことが認められる。)及び被告国の抗争態様並びにその他本件に現われた一切の事情を勘案するとき、原告が被告国に対し相当因果関係ある損害として賠償を求め得べき額は金七〇万円をもって相当と認める。

五  従って、被告国は原告に対し、金七〇万円とこれに対する登記官の違法行為後であり、本件訴状送達の日の翌日であることが明らかな昭和五〇年一一月一九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務のあることが認められる。

なお、被告国は損益相殺の主張をするが採用できない。その理由は次のとおりである。すなわち、同被告の主張は、昭和五〇年二月一三日、本件土地につき原告に対する所有権移転登記手続が嘱託され、これによって原告は、前訴確定判決に基づいて所有権移転登記手続をすれば要した六〇万円の登録免許税を免れたから、右六〇万円について損益相殺されるべきである、というものであるが、しかし、本件土地がすでに昭和二五年一二月二日に原告に売渡されているというのであれば、この時すでに原告の所有名義となっているべきもので(任意の売買の後、その所有権移転登記手続を自創法による買収等の手続によって行っても、本件の場合これを違法・不当といえないことは前記のとおり。)、もともと、原告は六〇万円の登録免許税を負担すべき立場にないのであるから、右登記嘱託によって利益を得たとはいえないからである。

六  以上の次第で、原告の被告らに対する本訴請求は、被告国に対し右五で認めた限度で理由があるからこれを認容し、同被告に対するその余の請求及び被告野口に対する請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条・九二条、仮執行の宣言及び同免脱の宣言について同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 和田功 裁判官 小島正夫 裁判官東畑良雄は転勤のため署名押印することができない。裁判長裁判官 和田功)

〈以下省略〉

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